生理中の過ごし方
毎月やってくる生理期間…。
今はピルを服用していることもあって、昔に比べたらかなり楽になったのだけど、それでもやっぱり多少の頭痛。だるさ。眠気。はやってくる。
最近はサジーを飲み始めたので、イライラがかなりマシになったのと、便秘をしなくなったのがありがたいけど。
そんなわけで今月も生理がやってきたー(笑)
昨日は散歩にでも行こうかな?と思ったけど、そんな気分でもなく、ただ家にいてひたすらダラダラと過ごしていました。
いろんな人のブログやインスタを見たり、海外ドラマを観たり。
久しぶりにぼーっと過ごして、眠くなったら寝る。
食べたいものを食べて、思いきり自分を甘やかす。
これが私の生理中の過ごし方。
すごくネガティブになるし、意味もなく落ち込むし、悲しくなるし、変な夢も見るし、
ご飯支度もできないし。
だけど、それはずっと続くわけじゃないから、1日や2日そんな日があってもOK!
今日はこうやってブログが書けているしね!
毎月やってくる生理だから、できるだけ自分に合った対策をしつつ、
あとは無理をしない。好きなように過ごす。思いきりダラダラしてみる。
普段頑張りすぎてしまう傾向にあるから、月に1回のこういう時間があるくらいが私にはちょうどいいのかもしれない。
今日は、いつも飲んでるカフェラテを控えて、ハーブティーでも飲んでゆっくり読書でもしよう♩
フォロワーさんに癒された1日
今日は久しぶりにお昼にインスタライブをした。
私はいつもこのライブでフォロワーさんと繋がれることがすごく嬉しくてハマってしまってるんだけど、今日はいつも以上に癒された時間になった。
優しくてあたたかくて、心地いい時間。
実際には会ったことがないけれど、文字や雰囲気で伝わってくるもの。
それはホンモノだと思う。
勇気を出して始めたインスタライブ。
今はやってみて良かったと本当に思っているし、ここでの繋がりは私にとってなくてはならない大切なものになった。
いつもコメントくれるフォロワーさんに感謝。
そして、癒されたと言ってくれることにも本当に感謝。
あのね、私が1番癒されたよ。(泣)
ありがとう!
大好き!
この言葉が自然に溢れ出てしまった、そんなライブだったなぁ。
夫婦ケンカは感情のぶつけ合いじゃない
夫婦ケンカはしますか?
時々聞かれるこの質問。
わたしは、ケンカらしい喧嘩は夫とあまりしたことがない。
それは、きっと夫が穏やかな性格なのと、元々あまり怒鳴ったりするようなタイプではないから。
どちらかと言うと、怒るより黙ってなにも喋らなくなる感じ。
もっと若いときは、それが物足りなく感じたこともあったけど、今は怒りっぽい人より全然マシだなと思っている。
そんな私たちだけど、ごくごくたまーに、ケンカっぽくなる時もある。
昨日もそんなことがあった。
些細なことすぎて、書くのは恥ずかしいから内容は伏せておくけど(笑)
久しぶりにムカッとしてしまった。
私も悪いけど、夫も悪い。50対50かな。
そんなときは、私は率直に夫に言う。
ただ1つだけ気をつけているのは、「どうしてこうなの?」とか相手を責めるようなことはなるべく言わないこと。
「私はそういうのが嫌だった」「こういうこと言われて悲しかった」と自分が不快に思った気持ち、悲しかった気持ちを伝えるようにしている。
そして、自分も悪いなと思った時は先に謝ってしまうこと。
今までの私だったら「謝るもんか!」と思っていたけど、負けるが勝ちという言葉もあるくらいで、そんな小さな些細なこと、とっとと終わらせてしまったほうがいいと気づいたから。
別に勝ち負けでもないような気もするし。
そうすると、ケンカも長引かないし、夫も「悪かった」とすぐ謝ってくれるようになって、そのあとは私もひきづらないし、予定していたとおり買い物に行って、楽しく過ごすことができた。
結局自分にとって良いことが多い。
これがずっとムスッとして、いつまでも気持ちを引きづっていたら、
楽しいことも、もしかしたら素敵な出会いも、自分から逃してしまうことになる。
なので、私は夫婦ケンカは感情のぶつけ合いじゃなくて、自分の気持ちのコントロールを試す機会だと思っている。
「あ、久しぶりにやってきたな!」くらいに受け止めて、自分自身を成長させるチャンス!くらいでいるほうが、ずっと楽な気がする。
腹が立たないように、いつも穏やかなこころでいることも大事かもしれないけど、
人間だからムカっとすることや、イラっとすることもある。
だけど、そのあとの気持ちの切りかえを早くすることだったらできると思う。
昨日の夫とのやりとりで、また一つほんの少しこころが成長できたかな。
みんなと一緒じゃないと怖かった
過去の私は、みんなと一緒がいいことだと思っていて、人からの評価ばかりが気になっていた。
いい子でいられるか。間違ったことをしないか。認められるか。
そんなことばかりを考えて生きてきたんじゃないかな。
だからちょっと仕事でミスをしたり、上手くいかなかったりすると、途端に自分を責めて、何日も悩んで、自分で自分を苦しめるばかりだった。
それって自分に対して可哀想なことをしてたよなって思う。
ちょっと取り繕っていることもあったし、人の目ばかり気にして生きづらかったなぁ…。
今はね、本との出会いがあったり、SNSの情報だったりで、かなり自分軸で生きていけるようになったから、生きていくことがそんなに大変じゃないんだって分かったし、楽しいとも思えるようになった。
それはきっと、自分を大切にして、本当に好きな友達とだけ付き合うようにして、仕事でミスしても、「この経験もいい勉強になった」と思うようにして、イヤなことはイヤって言えるようになって、断りづらいことも断れるようになったからかな。
過去の自分に言うとするなら、「そんなに頑張らなくていいんだよ」「怖がらなくていいんだよ」「自分を一番大切にしてる?」ってそう言ってあげたい。
みんなと一緒じゃなくても大丈夫。
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夫婦でも別々の時間をもつこと
昨日は夜に1人でカフェに行った。
私たち夫婦は、休みの日でも常に一緒に行動するわけではない。
お互い買い物するときも別々ですることも多いし、行きたい所や予定があればその時によって別行動になる。
それは、私が元々かなりの夫依存だったこともあって、一人で行動できるようにならなくちゃ!と思い始めてからかもしれない。
夫も束縛されるのがイヤなタイプ。そして束縛はいっさいしない人。
私は束縛はされたくないけど、過去には束縛してしまっていたなぁ。
ただ、一つ思うのは、夫婦でも程よい距離感で束縛し合わなくなってからのほうが、
ずっとずっと夫婦の仲が良くなった。
離れてみることで感じられる感謝の気持ちとか、一人の時間があるからこその二人でいるときの心地よさだったり。
なんかそういうことが、少しずつお互いの時間をもつことによって分かるようになってきた。
別々の時間をもつことによって、得たことは大きい。
私は、一人で行動することに躊躇しなくなって、昔より強くなれた。
夫は、できなかった家事ができるようになった。
だからこそ協力的になれるし、夫婦はチームのような関係でいられるのかもしれない。
そして、今も変わらず「夫のことが大好き」と堂々と言えるのかもしれない。
夫婦でも別々の時間をもつこと。
それは決して冷めてるとかじゃなくて、関係を良くするための大切な時間だと思う。
両親の離婚は自分のバネにする
昨日、インスタライブで話に上がったことがある。
それは、過去に両親が離婚したこと。
私自身も、確か中学1年生くらいの時に(子どもだったからちょっと曖昧)、両親が離婚して、父が出て行ってからは、母と妹と3人で暮らすようになった。
その当時は悲しかったし、お父さんとお母さんがいる『ごくごく一般的な家庭』がすごくうらやましくて、ひねくれた考え方をしたことも沢山あった。
何かにつけて、「両親が離婚したから私は幸せじゃないんだ!」とか、「お父さんとお母さんが今一緒にいる生活だったら私はもっと違う道を歩んでいたかもしれない!」とか。
子どもは親を選べない。
親の離婚を受け入れることしか子どもはできない。
だからこそ、とっても辛くて、しがらみになったりトラウマになったり、引け目に感じたりすることもあるのかもしれない。
私も実際、沢山悩んだし、辛かったし、両親の離婚のせいにしてきた出来事もある。
どこか「しこり」のようになっていた部分もあって、数十年それが取れなかった。
だけど今は、自分も大人になったし、いい歳になってきて理解できる所も出てきた。
両親が離婚を選択したことが、もしかしたら良かったことなのかもしれないと思えることもある。
そうじゃなかったら、私は夫と出会えていなかったかもしれないし、今のこの暮らしがなかったかもしれない。
そう思ったら、過去のしがらみにいつまでもとらわれているのは、何だかもったいないとすら思えてきた。
きっと、両親が離婚した人で、何も思わない人なんていないと思う。
一度は辛くて悲しい気持ちになったことはあるはず。
だからこそ、人の痛みや悲しみに敏感になれるだろうし、偏見の目を持たずに優しい人になれるんじゃないかな。
私もそういう人でいたいし、両親の離婚のことなんて、過去の思い出話の一つとして、これからは明るく前向きに、そして辛かった経験も自分のバネにして、人の気持ちをわかってあげられるような、そっと寄り添えるようなそんな人になりたい。
いつも明るくいられるわけじゃないけど、できるだけご機嫌な人でいたい
私は、他人から見たらわりとさっぱりした性格に思われているのかもしれない。
そして、悩みもそんなになさそうと思われているかもしれない。
だけど、そんなことは全くなくて、家にいればただの主婦で、ただの30代の女性。
悩むことだってあるし、泣くこともあるし、はぁーってなることだってある。
ただ、それを表になるべく見せずに、いつも機嫌の良さそうな人でいたいなと意識はしている。
なぜか?
それは、私が以前聴いた〝斎藤一人さん″のYouTubeでこんなことを言っていたからだ。
「マイナス言葉を周りに撒き散らしちゃいけない」
この言葉を聞いたとき、私はハッとした。
斎藤一人さんが言うには、相手を不快な気分にさせるような言葉。
相手を傷つけるような言葉。
そういうマイナスな気分になるような言葉を自分以外の人に言うことは迷惑なこと。
ただ、言わないことで我慢をしてストレスになって、病気になってしまうと言う人もいるそう。
だけど、斎藤一人さんいわく…
マイナス言葉を周りに撒き散らしてばかりいるくらいなら、ストレスで病気になって早く死んでしまったほうがいい。
だって、周りに迷惑だから。って。
少し冷たい言い方に聞こえるかもしれないけど、私は妙に納得してしまった。
そして、自分も今までどれだけマイナス言葉を周りに撒き散らしていたんだろうと思った。
例えば、自分が「疲れた」とか「最悪」とか言ったら、聞いた相手は絶対いい気分にはならないだろうし、荒げた声でなにか言われたらすごく怖いしイヤな気分になる。
自分の機嫌次第で誰かをこんなにもイヤな気分にさせていること。
気づいていない人ってたくさんいるんじゃないかな。
私も接客業をしているので、仕事ではいろんなお客さんと接する。
すごくイヤな感じで、ほしいタバコの番号を言ってくる人もいるし、ただの八つ当たりにしか思えない態度をしてくる人もいる。
そんなとき、この人、今、マイナス言葉を撒き散らしているな。って思うようになった。
だから、自分も気をつけなくちゃと意識するようにもなった。
人間だからいつも明るくいられるわけではないけど、マイナスな感情になったとき、
「いけない、いけない」と自分で気づいて注意する。
できるだけいつもご機嫌な人でいるために、どうせならマイナス言葉を相手に撒き散らすんじゃなくて、『プラスな言葉』『幸せな言葉』を撒き散らす人になりたい。
きれいごとかな…?